水戸(港・湊)の神、大祓の神、厄除開運の神

湊口神社の主祭神は速秋津比古神(はやあきつひこのかみ)と速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)です。
『古事記』によると速秋津比古神と速秋津比売神は、イザナギとイザナミによる「国生み」に続いて営まれた「神生み」の九組目に生まれた水戸の神です。
また、お祓いの原典とも言える『大祓詞(おおはらへのことば)』の中に登場しており、罪穢れを呑み干して祓い清める祓戸の神としての役割を担っています。

※ 『大祓詞(おおはらへのことば)』

「荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開都比売と云う神 加加呑みてむ 此く加加呑みてば・・・」

川上の瀬織津比売神によって海に流された罪・穢れを渦潮の荒々しい流れの中に鎮座する速開都比売がガブガブと勢い良く呑み込んで祓い清めれば・・・と記されています。
(中臣氏が奏上していたことから「中臣之大祓詞」ともいう)

「罪・穢れ」を祓う神社


神道は祓いに始まり祓いに終わると言われ、全国各地の神社では必ず「お祓い」が行なわれています。そして神社の神職は自身のお祓いを日々厳修して神明奉仕に従事しています。広義には「神社のお祭りはお祓いである」また「神社はお祓いの施設である」と言うこともできるでしょう。更にお祓いは「心身を洗い清め魂を浄化すること」と言うことができます。

それでは神社に参拝してみましょう。

神社の境内に参入するには先ず身だしなみを整えて手水舎の清水で手と口を洗い清めます。敬虔な面持ちで鳥居をくぐり参道を進めば、玉砂利や石畳を進む沓音にツミ・ケガレが祓い落とされるのが感じられます。拝殿で沓を脱ぎ揃える仕種には神様に対する畏敬の心が込められます。更に神前に進み出て参拝の合図である鈴緒を振り鳴らせば、すずやかな音色に心身はより一層清められます。
このように、神社へ一歩足を踏み入れば「お祓い」を受けることができるのです。
いよいよ参拝です。「2礼2拍手1礼」の参拝作法は「天地人の祈り」の形であり、大自然の中で生かされている感謝の心が込められます。

神様の恩恵を余すことなく拝受するには真の自分に立ち返り恩恵を授受する準備を整えておく必要があります。そのためには「お祓い」を受けて心身魂という自身の器を清めておくことが大切です。

「お祓い」の原典とも言えるのが『大祓詞(おおはらへことば)』です。「大祓」は大宝律令(701)によって宮中の年中行事となり、中臣氏が奏上していたので「中臣之祓」とも言われています。

(1)罪(ツミ)

「罪」とは「包む身」から派生した言葉とされ、私たちが神様から頂いた健全な心身魂を包み隠してしまう行為であり、社会秩序を乱す原因となる悪しき行いです。罪の根源にある私欲は神様から頂いた真の心身魂を包み隠してしまうために神恵を受けられずに病気や不幸の要因となります。包み隠す(罪を生む)ことは自身にも社会にとっても不幸な行為といえるでしょう。また自分では気づかないうちに罪(包む身)を生じている場合があります。

(2)穢れ(ケガレ)

「穢れ」は「気枯れ」であり、私たちを生かして下さる神様の気(神気)を枯らすことであり、自身の気(元気)を枯らすことでもあります。気枯れは死や不幸な出来事また不浄などに接したときに気分が衰えることによって生じます。この穢れに触れるとその人だけでなく、周囲にも広がって社会の中にも災いが起こる要因となります。勇気、根気、陽気、活気、熱気、気力などの言葉が示すように「気」は生命の原動力となっている要素の1つです。

(3)気(キ・ケ)

「気」の旧字は「氣」と書きます。解字すると「气」+「米」となります。私たち日本人の「気」の基は「米」と云うことがわかります。お米は「御食(みけ)」と言って最も重要な供物であり、供物は神饌(しんせん)ともいいます。「饌」の解字は「食」+「巽」となります。巽(たつみ)は太陽が最も勢いの強い方角(東南)を指すことから、神饌は最も氣の高い生命力に満ち溢れた供物(神様の食事)ということになります。私たち自身も生命力の高い食事を頂くことによって「氣枯れ」を予防したり回復したり、健康で元気な心身を養いそして維持することができるでしょう。

(4)神鏡と罪・穢れ

神鏡は神様の象徴として神前に飾られていますが、同時に私たちの心を映す鏡でもあります。自身の罪・穢れを映し出してくれると言ってもよいでしょう。
「神鏡に向かいて映る姿は我が姿、我が子に向いて映る姿は我が姿、神様は何処に居るかと訊ねてみれば、居るか居ないか我が次第」ご家庭には鏡があると思います。その他にも日常の中で自身を映し出す鏡は存在しています。日頃から自身の罪・穢れを点検することを心がけ、機会を設けては「お祓い」を受けて日頃の罪・穢れを取り除くことが大切です。

(5)罪・穢れを祓う神社

私たちはご先祖様である氏神様から「魂」という「分霊(わけみたま)」を授かっています。本来の魂は純真無垢な「玉姿霊(たましひ)」であるはずです。
そして人には生まれながらに魂の成長・成熟を願う心が備わっています。真(まこと)の成長に欠かせないのが真の自分です。仮の自分、装いの自分、偽りの自分では真の成長はありません。心身魂の汚れや埃を取り除き、神様から授かった真の自分に戻るためにお祓いを行います。そして磨けば輝く鏡のように、魂や心も磨くことで本来の輝きを取り戻し、真の力を発揮することができます。そのために行う儀式がお祓いです。

自分では気づかないうちに罪(包む身)を生じている場合、穢れに触れて気が枯れている場合があります。心得のある人は定期的に「お祓い」を受け自発的に更生の機会を設けています。罪・穢れを祓うことによって本来の自分に立ち戻り、望ましい真の道を切り開いていくことができるでしょう。

『大祓詞』より

「・・・荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開都比売と云う神持ち加加呑みてむ此く加加呑みてば・・・」

鳴門の渦潮の中心に鎮座して、大きな強い力で勢いよく罪・穢れをガブガブと呑み込んで、お祓いの神力を発揮して下さるのが当社の速開都比売神様です。

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